【高山蛾】
         ー高嶺を舞う蛾達ー
第1 蛾屋という人種
 昆虫採集が趣味の者は,自らを虫屋と言い,蝶屋,甲虫屋,蜂屋などと称する。昆虫の種類は多種多様なので,例えば甲虫屋といっても,更に細分化され,カミキリ屋,クワガタ屋,オサ(オサムシ)屋などに分かれる。昔,といっても僕らの同世代かそれ以上の世代の者には,かつて昆虫採集が趣味だったという人は少なからずいた。最近では「バカの壁」とかのベストセラーを出している解剖学者の養老孟司も虫屋であり,甲虫の中でもマイナーな象虫(ゾウムシ)を集めているようだ。漫画家の手塚治虫の治虫(オサム→オサムシ)という名前は,甲虫のオサムシから取っている。オサムシもマニアがそれなりにいて,かつて僕も大学の頃,蛾の採集と一緒にオサムシの採集をしていたことがある。政治家の鳩山邦夫も蝶の研究家として有名である。
 しかし,最近は昆虫採集そのものがマイナーな趣味になってしまって,虫を見ただけで逃げ出したり,怖がる人が増えた。まして,昆虫の中でも「蛾」ということになると,更にマイナーな分野である。夜にしか飛ばないし,鱗粉が飛ぶということで嫌がられる。学生時代,中央線高尾の駅で電灯に集る蛾を採集していたとき,わざわざ側に来て「俺には理解できない。」と御意見(?)を告げにきた人までいた。
 人は,自分には理解できない世界について,ある種の不安やおそれを抱くものらしい。例えば裁判所もある意味では,普通の人にとって,なじみがなく何をしているところか余り解らない世界であり,用もないのに一般の人が訪れることはない。観光バスが最高裁の前を通るとき「皆さんには一生縁のない所ですが…。」というガイドをしていたのを聞いたことがある。一般の人には縁のない法律の世界ではあるが,裁判官,検察官,弁護士以外にも司法書士や公証人のような法律に携わる色々な職業があり,裁判所の中でも,書記官,調査官,事務官等の様々な職種がある。また,世間の人は,法律家イコール四角四面といったイメージから裁判所で働く人は,固い人などの一方的な思い込みをする人もいる。マスコミもミスをしないはずの裁判所が主文等で間違いをすると,珍しいこととして報道する。人は,内容の解らないことについては言葉そのもののイメージからレッテルを貼りがちである。最近でも朝日の声欄に裁判員制度になっても,職業裁判官に太刀打ちできるわけがないからというような理由で制度そのものを疑問視するかのような投稿があったが,裁判所内部の者から見ると,制度の趣旨や内実を本当には知らずに印象だけで意見を述べているように思える。昆虫採集マニアは,自らのことを虫屋と称するが,虫屋も最近では,オタク的なマニアで変人としてレッテルを貼られやすい。
 しかし,虫屋も色々な職業や性格の人がいるし,興味を持つ分野も人それぞれである。ところで,虫というと昆虫以外の動物も含む場合があるが,昆虫は無脊椎動物の昆虫綱に属し,おおざっぱにわかりやすく言うと足は6本であり,身体は頭部,胸部,腹部の3つに分かれている。蜘蛛は8本足で昆虫ではないし,足がたくさんある多足類も昆虫ではない。
第2 高山蛾について
1 高山蛾の定義
 色々な昆虫の話や蝶と蛾の区別等は,後でまた触れることにして,高山蛾について話を進める。
 高山蛾(アルパインモス)とは,主として日本の中部山岳地帯で高山帯(南限は,南アルプスの光岳,西は,加賀の白山)にのみ棲息する蛾と定義することになる。日本の中部山岳地帯で言えば,おおよそ2500メートル以上の標高で,植物では,ハイマツと可憐な高山植物,雷鳥のみが見られる山岳地帯を高山帯と呼ぶ。必ずしも昆虫に興味がなくても高山蝶という言葉を聞いた人はいると思うが,高山蝶を蛾に置き換えた言葉である。
 昆虫綱鱗翅目に属する蝶と蛾は,著しい偏食であり,食草といって,食べる植物の種類が種類毎に決まっていて,特定の種は特定の植物しか食べない。そのため,高山植物しか食べない蛾の種類は高山帯にしか棲息できないわけである。つまり,食草から逆に定義すると,高山植物しか食べない蛾が高山蛾ということになる。
 もともと,高山植物は,氷河期の頃の地球には平地で栄えていた種が多く,氷河期から温暖化が進み間氷期である今の時代になる以前に寒冷な地帯でしか棲息できなかった高山植物は次第に高山帯に追いやられていったわけである。また,ヒマラヤや日本アルプスのように地形が盛上る造山活動によって次第に高山が形成された褶曲山脈の場合にも,もともと,そこにあった植物が高山に適するように変化した場合もあるのでないかと思われる。いずれにしても,高山植物を食草とする蛾も植物と一緒に高山に移動したわけである。日本以外ではヒマラヤ,アルタイ山脈,ヨーロッパアルプス,ロッキー山脈等の高山帯に共通種・近縁種が棲息するが,寒冷な地帯でしか棲息できなかった植物であるから北極に近い高緯度地帯のラップランド,シベリヤ,アラスカ等まで北上すれば,平地にも高山植物は存在し,高山蛾も平地に棲息することになる。
 日本でも東北に行けば,2000メートル未満の山でも高山植物はあるし,更に北海道まで行けばサロベツ原野等の最北の原野にも高山植物が存在し,高山蛾も平地にいると思われる。そうなると,高山蛾という言葉に反するが,高山蛾は,日本の中部地帯では高山帯にのみ棲息する蛾であるとの定義であり,高山蛾の定義から分かるように,特に高山帯に特化した蛾がいるわけではない。現在7科約45種の高山蛾が判明しているが,研究を続ければまだ増えるはずである。
 代表的な高山蛾としては,ヤガ科(胴体の太い,いかにも蛾という形をしている。幼虫はヨトウムシ〈夜盗虫〉と呼ばれることが多い。)にホッキョクモンヤガ,アルプスヤガ,ダイセツヤガ,オーロラヨトウ,オンタケクロヨトウ,イイデクロヨトウ,アルプスギンウワバ等の寒冷地か高山を示す名前(和名)を付けている。シャクガ科(胴体が細く,形は蝶とほぼ同じである。幼虫はシャクトリムシ〈尺取虫〉と呼ばれる。)にタカネナミシャク,ミヤマチビナミシャク,アルプスカバナミシャク,ダイセツタカネエダシャク等がある。その他,ヒトリガ科(ダイセツヒトリ)やハマキガ科,ツトガ科などの高山蛾がいる。
 蛾の中にはミクロといって,蚊と同じくらいかそれよりも小さい種類が沢山いて,日本には蛾の種類は,およそ5000種くらいと言われているが,ミクロ以外の大型,中型,小型がおよそ2000種で残りの3000種のミクロは,まだ,未発見の種類も多いし,研究も進んでいないので,ミクロの高山蛾はもっといるかも知れない。
 高山蛾の国内分布は,大きく分けると北海道高山型(北海道にしかいない蛾,以下同様),北海道,東北,本州中央部高山型,北海道,本州中央部高山型,本州中央部高山型の4つのパターンになる。これらの分布型を国外での共通種と比較したり,高山植物の分布と比較調査すると,日本の高山蛾が千島列島経由で分布しているのか,中国大陸との関係で裏日本から入り込んだのか等の興味に繋がる。
 高山であるにもかかわらず富士山には高山蛾がほとんどいない。これは,富士山は地理学的には比較的最近の火山活動によって現在の姿になったことによるとも考えられる。それでも,富士山の前身(大噴火前の山)である古富士には,遙か昔に高山植物が存在し,高山蛾がいた可能性もあるが,おそらく激しい火山活動で高山植物と共に消滅したとも考えられる。わずかに5合目付近にソウンクロオビナミシャクが分布するが,これは,火山活動にもかかわらず,生き残った種類である可能性がある。
 また,高山帯にも夏だけ避暑(?)で上がってくる蛾もいれば,山越えをして高山帯に飛来する蛾もいるが,これは高山蛾とは言わない。
 やや専門的な話のいくつかを紹介したが,高山蛾の採集を続けていると,色々興味あることや研究するべき課題があることが,少しは理解して貰えたらと思う。
2 高山蛾の採集
 高山蛾を採集できるのは,夏の一時期だけであるし,高山に登山するだけでも大変な体力を要する。その上,山小屋のない場所で採集したり,一般の登山客と異なり,夜に採集するためにテントが必要である場合も多く,自炊の食料や道具・寝具など重装備が必要で登山道具だけでも荷物がかなり重い。その上,蛾の採集は,映画のスクリーンのような白い幕を張り,中心に照明を灯して幕に飛来し,止まった蛾に毒瓶(青酸カリ)をかぶせて採集する。そのため,多人数の時には発電機を分解して担ぎ上げ,蛍光灯を灯すこともあるが,普通は,ケロシンランプ(石油を燃料とするガス灯)を灯す。もっとも,ケロシンランプが主役になったのも,僕が学生時代の頃からで,それ以前は,アセチレンランプ(カーバイトに水を加えると激しくガスが出る。昔のおでん屋等の屋台は,カーバイトを電灯代わりにしていたので,古い世代の人や昔の映画を見た人は記憶にあるかも知れない。)が主役であった。また,昔は,今のように携帯に便利な食料がなかったので,お米や野菜等の食材を丸ごと持っていく必要があり,いきおいザックの重量は,30ないし40sになって,一度転ぶと亀の子のように起き上がれなくなったり,ザックの紐が肩に食い込み手首に血がまわらずに,白くなるような状態で,採集予定地まで長時間登山したものである。
 高山蝶の場合は,高山帯で昼間飛ぶ蝶をネットですくい取るだけであるから,登山家で昆虫採集に興味を持つ者は,かなり以前から注目しており,写真家としても有名な田淵行男を始めとして,高山蝶マニアはそれなりにいて高山蝶の実態はかなり解明されていた。
 ところが,高山蛾の採集は,前述のように,趣味とは言っても大変な苦労を伴うため,高山蛾の採集を専門的にする者は,これまで,ほとんどいなかった。草創期の山岳会の重鎮であった小暮理太郎の名前を取ったコグレヨトウが採集されていたし,日本山岳会と日本蛾類学会に加入していた春田俊郎も北アルプスやヒマラヤで高山蛾を採集していた。しかし,学者としての専門家が高山にまで足を踏み入れることはなかった。
第3 高山蛾を求めて
1 高山蛾採集の切っ掛け
 僕より10歳年上のJ氏が大学の生物同好会で夏山合宿をした際に,南アルプス北岳で高山蛾の採集を始め,その頃から高山蛾の魅力にとり憑かれ,大学卒業後も生物同好会の昆虫斑の中に更に蛾斑を創り,高山蛾の魅力を語り伝えていた。
 大学入学後,小学校時代に昆虫採集を趣味としていた僕は,再び,蝶々でも採集したいと思ってその生物同好会に入った。しかし,その頃でも,日本の蝶については卵から幼虫,成虫までの生活史や食草も含めて,ほとんど全てが解明されており,蝶の採集と言っても,切手の収集家と同様なコレクターでしかなかった。ところが,蛾については,未発見の種類がまだ多数予想され,卵から幼虫,成虫までの生活史や食草も含めて,ほとんどが未知の段階であり,しかも,高山に登って高山蛾を採集することに,ロマンを感じて,本当のところは,それまで好きでもなかった蛾の採集,しかも高山蛾を採集する道に紛れ込んでしまった。
 特に何の目的もなく大学に入学したことが原因か,もともと,一度始めると熱中する性格のためか,その後の4年間は,ひたすら蛾の採集と山歩きに学生生活のほとんどの時間を注ぎ込んでしまった。北は利尻山から南は屋久島の宮之浦岳まで,年間100日は,山に入っているか,旅行をしていた。その記録はほとんどメモに残しておかなかったので不確かな記憶ではあるが,そのいくつかをこの機会に思い出しながら書くことにする。以下に記述するほとんどの山は,これまで,高山蛾採集のため蛾屋が足を踏み入れたことはなく,採集された高山蛾は,分布が新発見となったという意味では,学問的にも意義ある採集であり,それが励みにもなっていた。
 なお,高山蛾の棲息する地帯は,概ね国立公園であり,また,特別天然記念物として指定されていたりするので,関係官庁の採集許可が必要になる場合も多いので,かなり早い段階で予め計画を立てておく必要がある。昔ならともかく,最近では自然保護等に関して世間の目も厳しいので国立公園内で安易に昆虫採集網を振り回して採集したりすると,検挙されて新聞種になりかねない。もっとも,法律や条令等では国立公園や県立公園内で一木一草も動かしたり,どんな生物も採取してはならないとしているが,例えば国立公園内で蚊や蝿を捕獲して殺しても条文文言上は,法律に触れることになる。しかし,実際に蚊や蝿を殺しても多分検挙されることはない。それでは,蛾はどうなのか,ゴミムシはどうなのかなどの疑問が生じる。これを可罰的違法性がないとみるのか,そもそも立法者は,蚊や蝿等をも保護する趣旨で規制しようとしていたわけではないとみて,解釈上多くの例外を認めることになるのかなど,あれこれ考えることもある。マイナーな分野を法的に規制をする場合言葉の定義の外延を緻密に規定するのは難しい。
2 最初の高山蛾採集
 最初に高山蛾採集のために登山したのは,昭和40年7月,南アルプスの荒川三山及び赤石岳である。南アルプスは,別名赤石山脈と呼ばれるが,荒川三山は,南アルプス南部の盟主赤石岳(3120m)と隣接した悪沢岳(3141m),荒川中岳・前岳の3000メートル級の山々を指す。南アルプスの山は一般にアプローチが長く,前衛の山に一度登ってから一旦谷底に降りて,再びメインとなる山に登り返さなければ山頂にはたどり着けないことが多い。その意味では,最初の高山蛾挑戦の対象としては,一番ハードな山となった。また,蛾の採集道具のために荷物も嵩み昔の横長のキスリングザックの重量は優に30キロを超えていた。山梨側から入山すると,伝付峠越えという長大なアプローチが必要なので,伊那側の小渋川を遡行して,主脈に取り付くルートを選んだ。ところが,これが裏目に出ることになった。その夏は,梅雨明けを待って,7月20日過ぎに山に入ったが,いわゆる戻り梅雨で入山を歓迎するかのように豪雨が降り始めた。そのため,小渋川の深い谷に沿った急峻な崖の中腹の道を遡るルートは,いかにも危なそうな吊り橋が何カ所もあり普段でもか細く,道が軟弱なため,ガレ場(山屋にはなじみの言葉であるが,要するに常に崖の一部が崩れている蟻地獄状態で危険な箇所)の道は雨で崩壊しており,ガレ場を横切るのは極めて危険であった。雨の中,崖の中腹道を歩いているうちパーティの1人がガレ場で滑落したため,入山第1日目は,そのままガレ場を下り,川原でキャンプすることにし,増水の危険に怯えながら一夜を明かした。翌日は雨は上がったが,再び崖のルートに戻るのは危険なため沢筋を詰めることにしたものの,川は増水しており,慎重に渡渉を繰り返しながら遡行した。昨日ガレ場を転落した同じ人が丸太で川を渉るとき滑ってあわや転落寸前となったりしながら,かろうじて主脈の大聖寺平への登山口に辿り着いた。しかし,主脈への高度差は1200メートルもあり,しかも,息つく暇もないよじ登るような急な斜面で,背中のザックを投げ出したい,もう2度と山に登りたくないと思いながら死ぬような思いで稜線に出たときは,苦役から免れた開放感と心地よい疲労感でただほっとしただけであった。単なる山屋であれば,後は小屋に行って夕食を取り翌朝の行動に備えて寝るだけであるが,蛾屋の場合は,それから仕事が始まる。荒川小屋の前で白い幕を張り,先輩から借りたガソリンランプを灯したが,ケロシンランプとガラスの構造が違うためかランプのホヤが時々降る雨で濡れて割れてしまった。幸いカーバイトランプを予備に携行してきたので,カーバイトを誘蛾灯にして採集した。後にも先にもカーバイトを使用したのはこの時だけであった。飛来した蛾は,期待した高山蛾ではなく,夏場だけ高山に飛来するキイロエグリバその他の平凡な種類が多かった。翌日赤石岳の雪渓の雪にコンデンスミルクをかけて食べたことなど,今から40年も前の懐かしい鮮明な思い出である。
3 北海道の高山蛾
(1) 利尻山(1721m)
 利尻山は,甲虫屋(カミキリムシ,最近気鋭の構造主義的生物学者として売り出している池田清彦氏)と蝶屋・オサ屋の後輩上野晶博君と学生時代に訪れた最北の高山蛾採集の地である。利尻島は,島全体がコニーデ火山からなり,島の中央は山頂であり,丁度富士山を海上に浮かべたような美しい島である。リシリ…と名のつく高山植物が多数あることで知られている。旭川から稚内への車中でマツバラシラクモヨトウという極めて稀にしか採集できない蛾を採集し,霧の中の稚内港を出航した。霧の中から時々赤い足のケイマフリ(海鳥)が飛来しているのを観察しているうち鴛泊の港に降りると,それまで海上に立ちこめていた深い霧もいつの間にか消え素晴らしい快晴だった。そこで,予定を変えてすぐに山頂に向かった。海抜0メートルから1721メートルの標高差がある。前日の昼までは,まだ大雪山の白雲小屋にいて,下山後夜行で直行した疲れでようやく長官山避難小屋(1218メートル)に着き採集を始めたのは9時過ぎであった。頂上付近は草地に座ると滑り台のよう落ちてしまうような急峻な地形で上部には水場もなく,長官山と呼ばれる山の肩に避難小屋があったが,小屋の残骸という状態で屋根や壁は隙間だらけで,小屋の中にテントを張って自炊を始めた。小屋付近は展望も良く,ハイマツ帯にあり,お花畑も近くにある。亜高山性のツマアカナミシャクのほかめぼしい成果はなかったが,登山の休憩中,北海道の高山帯でしか滅多にみられないアトリ科の小鳥ギンザンマシコを目前に見ることができたのは貴重な収穫であった。翌日山頂部は風が強かったので早々に下山し,日本百名水の一つ甘露水の近くのうっそうとした森林帯で夜間採集をした。昭和42年7月の遙か昔の思い出である。
(2) 知床羅臼岳(1660m)
 利尻を後にして,知床に向かった。アイヌ語でシレトク(地の果て)と言われた知床半島も,近年観光地化が著しいが,未だに原始の面影だけは残しており,野生のエゾシカや羆も多い。岩尾別行きのバスを逃したので,日が暮れ,今にして思えば無謀にも羆の跋扈するイワオベツ川の川原にテントを張り,夜間採集をすることにした。付近は,エゾマツ・トドマツ,イタヤカエデ・ナナカマドなどの針広混交林である。知床名物のヌカ蚊の襲来に悩まされながらの採集であったが比較的少ないとされるCatocala(蛾の属名であるが後翅が綺麗)のアサマキシタバが採集できた。その後,羅臼岳宇登呂登山口の木下小屋に泊まり,雨の上がった朝,羅臼平への登山を開始した。羅臼平(標高1400m)は,東に国後島を望み,西にオホーツクの海を見下ろす,広々としたお花畑である。ハイマツの散在する草原には,紅色のエゾツガザクラの群落が鮮やかで,カラフトルリシジミが舞い,ルビー色の喉をしたノゴマがさえずる。羅臼平にテントを張り,この夜はオホーツクの海を見下ろす沢の上部で採集をした。上弦の月の明るさに災いされ灯火には余り集らなかったがミヤマクロオビナミシャク,ソウンクロオビナミシャクの高山蛾を確認できた。翌日監視員がこの付近には羆が出没しますよと注意してくれた。羆は夏に高山植物を食べに山に上がってくるので,特に熊の好む沢の上部でさ夜間採集をしたり,テントを張っていたのを羆から監視されていたものと思う。
(3) 大雪山白雲岳(2230m)
 大雪山では白雲岳にある白雲小屋で採集を試みたが,夜間は気温が5度しかなく,蛾の飛来がなかった。その代わり,壮大なお花畑には,ホソバウルップソウを始め,大雪山にしかない高山植物が咲き誇り,コマクサの大群落には特別天然記念物のウスバキチョウが舞っていた。白雲小屋には,ナキウサギを研究しているという農大の学生が1か月近くも滞在しており,毎日インスタントラーメンを食べながら頑張っていたのが印象的であった。大雪山では黒岳付近で採集したタカムクカレハの北海道亜種が唯一の収穫であった。
(4) 天塩岳(1558m)
 旭川の裁判所に赴任中,層雲峡博物館の館長で高山性のバッタの研究家と,旭川医大の先生で旭川を中心とした蛾を採集している医者を加えたメンバーで天塩岳の蛾を調査することにした。天塩岳は標高1558メートルで大雪山以北では最も高く,道北を流れる天塩川の上流の奥深い山であり,麗の朝日村では羆に殺された人が何人もいる。もちろん,これまで山頂で蛾を採集するような物好きは誰もいなかった。そのせいか,登山口からキタキツネが物珍しげに付いてきて一緒に山頂まで付き合って登ってくれた。山頂付近はハイマツ帯でテントを張るスペースが無く,結局,登山道に狭いながらもテントを張り,夜間採集を試みた。高山蛾の成果としてはアルプスギンウワバの分布を確認できた。
(5) 後志羊蹄山(1898m)
 ニセコでスキーをする度に蝦夷富士と呼ばれる秀麗な羊蹄山にいつかは登りたいと思い続けていたが,旭川勤務の最後の年,高山蛾グループで羊蹄山の高山蛾を調査することになった。メンバーのいずれも大学卒業後,相当年月を経ているが気心の知れたメンバーでの久しぶりの合宿となった。今回は,ガソリンの発電機を分解して担ぎ上げ,蛍光灯(ブラックライト,お化け屋敷等で点灯していることがあるが,一見発光していないように見えていても,白いワイシャツ等が青白く輝く蛍光灯。一般に蛾や昆虫はは紫外線に近い波長を識別するので,ブラックライトの方が効率がよい。)水銀灯を点けて採集した。上りはきつかった。夜間採集の標高は1800メートルであり,麗での夏の花火大会の花火はせいぜい高度200メートル位なので,上から見下ろす大玉の花火がまるで線香花火のように小さく見えたのが印象的だった。多分,下の花火大会を見に来た見物客は,山頂に怪しげな灯りが見えるのを訝しく思っていたと思う。
4 東北の高山蛾
(1) 鳥海山(2236m)
 鳥海山は,日本海に面し,秋田県と山形県の県境にまたがる名峰である。火山性の山であるが,普段は活動していない。山頂直下には,夏でも「心の字」雪渓等の大きな雪渓が残る。鳥海山では,高山蛾の飛来と共に,ヤンコウスキーキリガという極めて珍しい珍種が飛来し,興奮したのが思い出である。
(2) 月山(1984m)
 月山も裏日本の出羽三山の名峰である。月山も万年雪の雪渓が残り,夏でもスキー部が合宿をして滑っている。ちなみに月山のスキー場は,余りにも雪が多いのでスキー場開きは,4月上旬になってからであり,5月の連休から6月にかけてがスキーシーズンとなる。5月の連休には何度か春スキーに訪れており,いつも山スキーで山頂まで行きたいと思いつつ,リフトのある部分で誤魔化してしまうのが心残りである。月山では,アルプスギンウワバの棲息が確認できた。夜間採集だけではなく,昼間もミヤマアキノキリンソウに飛来しているのが確認できた。もちろん,日本で最初に分布を発見したわけであるが,発表をしないでいるうちに,東北の蛾屋さんが日本蛾類学会の機関誌である蛾類通信に新発見として発表してしまった。新発見というのは,そんなもので,コロンブスのアメリカ大陸発見というのも,ヨーロッパ人が,多分初めて訪れて,それを発表したというだけのことで,アメリカ大陸には現地人はもともと存在したし,コロンブス以外にも冒険家が訪れていたかもしれない。高山蛾ではないが,学生時代に屋久島の南端で採集した蛾は,日本では新属新種の未発見の蛾であり,後にヤクシマキリガと和名を付けられた。蛾ではなく,蝶や動物の新属新種を発見すれば,新聞にそれなりに大きく報道されたはずである。この蛾は,東南アジアの広葉樹林帯に分布する種類であり,日本では他の暖かい地域でもいる可能性があったところ,後に四国の広葉樹林帯にも棲息することが確認された。蛾について興味のない地元の人は,ヤクシマキリガが飛来しても,汚い虫が飛んできたとして無視していたかもしれない。発見されようとされまいと人間には関わりなく,すべての動植物は太古からそこに生きていたのである。
5 中部山岳の高山蛾
(1) 木曾御嶽山(3067m)
 頂上付近が遠くから見ると台形に見える木曾の御嶽山は,標高3067メートルの高山で,五つのピーク,五つの旧火口を有するコニーデ式火山であるが,修験道の山としても知られている。飛騨山脈の南端であるが,独立峰としてそびえる雄大な山である。山頂付近一帯は,ハイマツ帯で高山植物の種類も多い。高山蛾グループで4日間にわたり山頂付近の高山蛾の採集を試みた結果,オンタケクロヨトウ,ダイセヤガ等多数の高山蛾の棲息を確認できた。わけても四ノ池と呼ばれる長径800メートルの楕円形の旧火口は,湿地帯のお花畑でコマクサ,クロマメノキ,キバナシャクナゲ,ミヤマキンバイ,チングルマ,ガンコウラン等の高山植物が咲き乱れる雲上の楽園である。この火口内に2日間テントを張って,多くの成果が得られた。特にダイセツヤガは,夜11時過ぎないと飛来しない深夜行動型の高山蛾なので,滞在型の採集でないと採集できない貴重種である。この想い出の四ノ池は,その後の昭和54年の御嶽山大噴火で吹き飛んでしまった。あの花園は,姿を消してしまったが,御嶽山四ノ池付近に再び高山植物や高山蛾が戻ってくるのはいつの日のことになろうか。ちなみに,これまで,高山蛾の採集をした火山性の山は,ジンクスのように,その後,ほとんどが突然噴火している。御嶽山は死火山と言われていたが水蒸気爆発をしたし,鳥海山でさえ噴火した。日本の火山は,死火山・休火山といえるものはないといえるかもしれない。しかし,近年各地でこれだけの噴火が起きることは偶然とは言っても不思議な気もする。
(2) 仙丈ヶ岳(3033m)・甲斐駒ヶ岳(2967m)
 梅雨明けの7月17日から20日にかけて,夜叉神峠から鳳凰三山を経てアサヨ峰(2799m)のある早川尾根を超えて北沢峠に降り,仙丈ヶ岳に登ってから甲斐駒ヶ岳に登り返した。登山の日程だけでも強行軍である。この間南御室小屋,仙丈藪沢小屋,駒ヶ岳七丈小屋で高山蛾の夜間採集をし,アルプスクロヨトウ,タカムクカレハ等を採集した。今にして思えば,若くて体力があるからできたことである。
(3) 蓼科山(2530m)
 北八ヶ岳の北端に位置する蓼科山は,標高2530メートルで山頂付近はハイマツ帯であることから,高山蛾の棲息が予測されたが,これまで採集記録はなかった。その夏は,折からの集中豪雨で信越地方は水浸しとなったため,入山の容易な蓼科山に向かった。しかし,天候の動きが予想よりも遅く,白樺湖畔に着いた時は,まだ前線の雲が真上にあった。強く降る雨に登ることを躊躇していたその時,決断を迫るべく7合目行のバスが来てしまった。運を天に任せて雨の中を登ることにした。幸い,夕刻になって,雨が上がり,蓼科山荘前の広場に幕を張った。付近は,森林限界の上端でトウヒを主体とした針葉樹林帯である。ケロシンランプを灯すと,しばらくして特徴のある弱々しい飛び方でヤツガタケヤガが飛来した。しかし,10時過ぎて風が強く新たに飛来する蛾も少ないし,付近の植生から見ても,これ以上高山蛾の飛来は望めそうもない。そこで,ランプを片手に急な登山道を山頂のハイマツ帯に向かって移動採集することにした。すると,どこからともなくヤツガタケヤガ,アルプスヤガ,サザナミナミシャクが灯りを慕って次々に集ってきた。この夜は,山小屋の番人から一升瓶のような大きな器のトリスウィスキーを飲ませてもらったのが想い出となった。
6 その他の高山蛾
 以上,思い出が強い山やたまたまメモを残していた山を中心に高山蛾採集の一端を紹介する意味で断片的随想を書いてみたが,個人的あるいは我々の高山蛾グループでは,東北では,八幡平,岩手山,早池峰,朝日連峰,飯豊連峰。関東北部及び関東では,尾瀬,尾瀬笠ヶ岳,奥日光,上州武尊,奥秩父。上信越の平標山,巻機山,妙高山,浅間山。北アルプス,八ヶ岳連峰,中央アルプス,南アルプス。北陸の加賀の白山等々高山蛾の棲息していそうな山々を調査してきた。それでも,まだ,北海道では,道北のピヤシリ山,ピッシリ山,ウエンシリ岳,日高の山脈。東北では,白神山地,真昼山地,焼石連峰等,中部山岳でも,これからも調査してみたい山は多いし,千島列島や海外の高山に思いを馳せると夢は尽きない。
第4 蛾の話あれこれ
1 蝶と蛾の区別等
 蛾を採集していると言うと,よく聞かれるのが蝶と蛾の区別である。鱗翅目に属する蝶と蛾は,アゲハチョウ科,セセリチョウ科,ヤガ科,ヒトリガ科というようにファミリー(科)として横並びであって,各科の下に属と特定の種がある。蝶と蛾という人為的な分類で区分けする明確な基準があるわけではない。例えば,鳥類を綺麗な鳥と汚い鳥に分けたり,昼飛ぶ鳥と夜飛ぶ鳥に分けるようなもので,質問自体に無理があるのである。それでも,よく,蝶は羽を閉じて止まり,蛾は羽を開いて止まるというが,羽を開いて止まる蝶もいるし,羽を閉じて止まる蛾もいる。胴体の細いのが蝶で,太いのが蛾というが,胴体の細い蛾は多い。昼飛ぶのが蝶で夜飛ぶのが蛾であるというのは,かなり当てはまるが,昼飛ぶ蛾の種類はそれなりにいる。もちろん綺麗な蛾もいるし,蛾よりも汚い蝶もいる。一番確かな特徴は,蝶の場合,触角の先端がマッチ棒の先端のようにこん棒状になっているのに対し,蛾の場合は,髪の毛のように先端が細くなっており,触角が眉毛のような場合でも先端は細いということで区別できるが,世界の鱗翅目を見渡すとこれにも例外があるようで,結局,確実な区別のメルクマールは一つもない。
 また,蝶や蛾の種を特定するのは,外見だけではなく,交尾器の形態で判別するのがもっとも確実である。蝶や蛾の交尾器は,シリンダー錠のようにヴァギナやバルバと呼ばれる部分や毛の状態が種類毎に形態が異なり,種が違えば物理的にも交尾ができない。もっとも,最近のようにDNA鑑定をするようになれば,更に種の特定は正確になるかも知れない。
2 蛾屋の生態
 日本蛾類学会という団体があるが,会員である蛾屋は,ほとんどがアマチュアであり,ヤガの権威であるS氏は,大学卒業後,一流会社にサラリーマンとして就職後も,毎週土曜日に,今はない信越線の軽井沢と横川の中間にある碓氷峠近くの中間駅で夜間採集をし,日曜日の日中は軽井沢で蛾の幼虫の採集をし,日曜日の夜も夜間採集をした上,月曜日の早朝にそのまま東京の会社に出勤するという生活を10年間近く続けていたという。蛾の権威になるためには英語の文獻を読むだけは足らず,ドイツ語等の海外の文獻も読む必要がある。また,学名を記述する際にはラテン語の知識も必要である。また,食草となる植物を特定するため,植物の知識や生物の一般的な知識も必要であり,S氏は,自費で大英博物館にも勉強に行っている。そして,5時からは趣味の時間と宣言し,会社付き合いも最少限にし,帰宅後の時間を趣味の蛾の研究に打ち込んでいたが,それでも会社の部長クラスには出世した。とても真似ができないが,どんなマイナーな世界でも一流になるためには,逆に幅広い知識が必要となり,権威になる道は容易ではない。
 高山蛾あるいは蛾の研究をして何の役にたつのかと聞かれても,なぜ山に登るのかという問いに「そこに山があるからだ。」と答えた名言(?)と同じで質問自体が愚問である。山に登ったからといって何か世の中の役に立つわけではない。山好きにとっては,苦労して登る登山なしの人生は,考えられない。
 もちろん,その蛾が害虫であったり,ドクガである場合には,その生態を解明することが人の役にたつ場合もある。また,ヒトリガのようにコウモリの超音波を察知すると,羽ばたきをする筋肉が痺れ垂直に落下して捕食を免れるなどの興味あるメカニズムを研究している人もいる,しかし,趣味としての蛾の研究は,新種を発見したり,分布を解明したり,卵から幼虫までの形態を新しい知見として解明する喜びやコレクターとして多くの標本を収集する満足感が主体であり,それが何かの役にたつのかを意識しているわけではない。世の中には何の役にも立たないような蛾の採集や研究に没頭している人間がいるということだけでも知ってもらえれば幸いである。難しい起案や多忙な仕事に翻弄されているとき,蛾屋の仲間に会うと,まだ面倒な裁判官をしているのかやめたらなどと揶揄されると,何か仕事を離れた別の世界の存在にホッとすることがある。
 高山蛾の採集は,夏場だけなので,それ以外の季節は,丹沢の札掛,軽井沢,秩父等で春と秋のオルトシア属のキリガと呼ばれる蛾を定期的に採集していたほか,高山帯ではないが余り人の入らない山や離島の蛾を調査し,冬場はフユシャクと呼ばれる冬にしか出現しない蛾の調査をしていた。フユシャク・フユナミシャクは,真冬に出現するという変わった蛾であるが,雌には羽がないというのも特徴の一つである。雄は雌よりも先に出現し,冬の林の中を弱々しく飛んでいるが,適者生存で生き残った雄のみが,その後出現する雌と巡り会うことができる。このフユシャクの雌は羽がないために,発見が困難であり,冬の夜中に懐中電灯で山中の森の中でモミの木に6本足の蜘蛛のような形をしたナカジマフユナミシャクの雌を新発見した時の喜びは大きかった。S氏には遠く及ばないが学生時代は,蛾の採集に明け暮れていたうちに終わってしまった。
 卒業後,司法試験を受け,裁判官として任官し余暇には,時々高山蛾を採集したり,他の趣味にも打ち込んでいたが,尊敬するS氏やJ氏のように高山蛾の世界に深くのめり込むことができないうちに,いつの間にか高山蛾との付き合いは遠い思い出の世界になってしまった。
 それでも高嶺を舞う蛾達は,今も人間とは関わりなく,高山帯を生活の足場として綿々と生の営みを続けている。高山蛾についても,いくら研究してもその生態や行動等について人間が知りうるのはそのほんの一部である。どんな学問も役にたつかたたないかという観点だけから深まったのではなく,人間のあくなき好奇心の集積で成り立っているのであるが終わりはなく謎は深まる。この先科学が発達して精巧なロボットを創ったり,バイオテクノロジーで生物を改造することが可能になったとしても,多分,ありふれた蝶や蛾を人間が零から作り上げることはとうていできないと思われる。特定の種を絶滅させるのは容易であるが,2度と再現はできない。何億年にわたって自然との係わりの中でそれぞれの種に進化した高山蛾の生態や行動を少しでも知りたいとの思いで採集していた物好きがいたことを書き留めておく。